それでも僕は花を飾った
私のボロアパートにも冬はやってくる
我が物件のポストは手作りで戸建用のポストを4連結している 本当はナスタの集合住宅用のポストが欲しかったのだが予算が尽きてしまった そのポストには雑誌や新聞を入れる小さいカゴのようなスペースがあるのだが、入居者さんがその部分を使用する様子もなかったので、花を飾ることにした。生花は手入れができないので、造花にしたが最近の造花はとても綺麗で、ディスプレイ感覚で花を飾ることができる
私は大家になるときに、なんとなくめぞん一刻の響子をイメージしていた。でも入居者さんとは挨拶以外には関わらないようにして、距離感を保っている。入居者によってはあまりニコニコしているのも気持ち悪いと思われるかもしれないので、笑顔もちょっとドライな感じにしている。なにしろグーグルで大家と検索しようとすると「大家 気持ち悪い」と自動予測も出てくるので世の中で何かが起きている。気をつけなければならない。距離感は大切だ。
でも気持ちだけは、こんなボロ屋に住んでくれてありがとうという気持ちで、玄関先を飾ることにしている。何も言われないし、こちらからも何も言わない。なんなら挨拶されない時もあるし。別にいい。ただ環境美化には防犯の抑制効果もあるかと思い気を配っている。
この季節になるとなぜかごんぎつねの話を思い出す
私はこの話の類が大の苦手である 私の中でごんぎつねが消化できず冬になるとごんぎつねが頭の中に出てきてしまう。(トラウマ)こういう話を幼い頃に聞きたくはなかった。手袋を買いには一応セーフ。
なぜ人間は過酷な冬を一生懸命生きている狐たちにこんな切ないストーリーをのせてしまうのだろう。
今日造花を入れ替えて私は気がついた。
そうだ、、いまの私はごんぎつねではないか。直接伝えることはないが、玄関(ポストだけど)の前に花を季節ごとに置いていく。喜んでもらえるように、気持ちが伝わるように、、ボロ屋であることを謝罪しながら。そうか、いつのまにか私はごんぎつねと同化していたのだ!
ごんぎつねのラストは大切な何かの教訓なのかもしれないけど、、僕の中では消し去ってしまおう ごんの過ちより人間の過ちの方がひどいと思うから。
私の中でごんぎつねがうれしそうにピョンピョンと跳ねていた
雪のない少し暖かな日差しの中で今日も私は会社へ出かけた。