ワーキングホリデー ベルリン海外生活の経験
僕はドイツ・ベルリンに1年だけ滞在したことがある
アメリカよりもその時に初めてヨーロッパの文化に出会うことになった ちなみにニューヨークは2週間程度の滞在を4回ほど経験したことがある。
自分としては音楽を通じてアメリカの文化にばかり触れてきて、それもどうしてだったのかという事をベルリンについてから考えるようになります
サブプライム、リーマンショックを経てニュースが騒ついている頃、僕は資本主義というものが何なのか、お金という資産、価値の交換について僕なりに理解したいと思い、ドイツに行けばきっと違う角度から価値観を知ることができるかもと考え、乏しい英語力を引き連れてワーホリでベルリンへ向かった(事前に半年かけて東京・青山で土日ドイツ語を習いましたが、身につかず)
結果として旅行ではなく、住民登録をして一時的ではあれベルリン市民として生活できた事を誇りに思うし、自分の人生観を桁違いに改めることになった 住民登録で銀行口座と携帯電話を獲得することもできるし、日本以外にも住めるんだ!という感覚はこれからも大事にしたいと思っている
いつかベルリンでアパートメントを1室もって、老後とはいかないまでも、もう1度暮らしてみたい
ベルリンに行って驚いたこと
- 西と東で街の作りが大きく違うこと(歴史の亀裂を今だにはっきりと感じさせる、西側の街の形成と東側の対比が強烈
- 休暇を大事にしていること(働き過ぎない、もちろん忙しい人もいますが)
- 服装も地味で穴が開いても着ていたり、無駄なものにお金をかけない地に足のついた感覚(それがかっこよかった)
- 国際的でニューヨークにいるより人種が凄い
- ヨーロッパ間の旅行費(交通費が)安すぎる(ベルリンからパリまで高速バスで50ユーロ等)
- お役所は紙書類をとても大事にしている (だけど窓口を早く閉めたりしちゃう)
- 若い人のホームレスが町中にいる
- 道路が大きくて広くて、パーソナルスペースも日本より広いかも でも駐車方法は結構大胆
- 1Fに住んでると簡単にインターホン鳴らされて、色々用を使わされる
- 挨拶や笑顔が大事だったこと(自分が不審者でない事を自然に表明する事)結構気さくに話しかけたり物を貸したりしてくれる 日本でマンション暮らしの時より近隣の交流があった
- ドイツ人とトルコ人の距離感が微妙な事(歴史的な背景から)
- 首都なのに緑に溢れている事
- 小さい畑を持ったりして、自然を愛している事
- 部屋の貸し借り(日本の民泊)が盛んな事
- 東西冷戦のためのシェルターがある時まで稼働可能な状態だったこと
- 人々が公園でのんびりすごすのが大好きなこと
- 自分の誕生日パーティにクラブの箱等を自分でお金を払って借りて友人らを招待すること それで50歳とかになっても普通にクラブで楽しんでいる
- ジプシーがいること、子供のスリが多いこと
- あらゆる宗教、人種に人々が互いに触れながら、触れないようにしながら生活していること。それが受容ということ?
- 挨拶の時に抱きしめてくれること
- すぐコーヒーでも飲もうと言われる
- 自分で買い物袋持参(その時まだ日本ではまだ無料)
- 工事が遅い
- すぐストライキしちゃう
- 電車が駅で何かしらの理由で急に止まって乗り換えてくださいと言われる
- 犬たちのしつけがよくて電車に一緒に乗れる 自転車も電車に乗れる
- 改札がなくて、急に鉄道警察が見回りに来る(定期や切符を確認しに来る)
- 会社員でもTATOOはいってる
- スーパーレジの人が座って仕事をしている(便利だと思う)
- 酒が水より安い
- 日曜日はお店も休み
- 自転車の値段が高い(ので修理して乗っている人が多い)
- 怖い雰囲気の場所が結構普通の場所だったりする(いや怪しい人も多いか、、)
- 土日電車24時間で、一人定期持ってると連れの人も無料で乗れたりするよくわからないサービス だけど週末遊ぶのには最高
- テッシュが厚すぎる
- ティッシュじゃなくてハンカチで鼻を拭く
- 夏は21時ぐらいまで明るい
- 少しぐらいの雨では傘をささない
もちろん住んでいた地域や関わった人によってもベルリンの印象が違うと思う
ドイツでも様々な暗く重苦しい問題もある
僕は東側のプレンツラウアー・ベルク(Prenzlauer Berg)に住んでいて、そこはとても雰囲気が明るい、地元の人からも人気のある場所に住んでいた。ある日語学学校で知人になったウクライナ?出身の男性と自分が行かない方面の東側の公園に行った時は驚いた。ゴミが多くて、公園で過ごしている人々もなんだか暗くて、そこで何をしているかわからない感じだった。友人は僕にあるものを進めてきたけど嫌だし断って、彼はそのまま土まみれの芝生に座った。彼はそこでドイツで不当な扱いを受けた話をし始めた。そして日本のことも聞きたいと言われた。僕は僅かにヨーロッパの暗い影を感じたような気がした。
僕はその公園には2度と行かなかったけど、そこから近いような場所で、日本から村上隆の弟子とかで女性のアーティストの展示会に出向いたことがある 展示会の内容はアニメと寿司とフィギュアと何かエロティックなものをかけあわせていたことしか覚えていない
じめっとした地域の暗さと展示会に着ていた人々の高級そうなきらびやかな服装と、浮き立ったエロティックなフィギュアが目について、僕は目眩がした そこで集まっていた人たちは僕よりも数倍その地域やドイツのことを知っている人だとは思うけれど、見ていてなんだか受け入れ難かった。無料で振舞っているシャンパンのような飲み物に誘われて、近隣の人たちが集まっているのを遠目にしながら、僕はその場を離れた。
とにかく地域で東京と地方というような感覚ではなくて、東と西の街形成が違いすぎるし、その雰囲気を今も引きづっている これでもか!っていうぐらいの権力や威厳や威圧やパワーを西側から感じるのだ そしてその雰囲気に今も誘われるように、住んでいる人々がその土地の何かを引き受けているものがあるような気がする
西側で日本人の音楽家の夫婦と出会うことができた、祖父や祖母の年齢に近い方々だったけど、戦争の前からすんでいるというのに、アパートメントのオーナーが変わって賃料が払えなくなったために日本に帰らなければならないという事だった
西側で作られた古くて品の良いコートを僕に譲ってくれた
時に外国人には理不尽な話が降りかかるようだった
仕事を探してイギリスから来た男性はどうやってオーナーと交渉しても外国人は簡単に物件を購入させてくれないと話していた 購入出来るが値段が高すぎるのだ
語学学校のトルコ人の女性は、ドイツ人よりも自分達の方が安くいい仕事ができると主張していた
僕はそれらの答えはその場で出さないようにして、ただ、聞いていた。
あとでThe Story of Berlinという博物館の日本語パンフレットの作成に少しだけ関わることができて、その際にドイツの友人に教えてもらいながらベルリンの歴史を学んだ
様々な人種の狭間で自分自身が何人かもよくわからなくなってきた
日本人、韓国人、中国人、、、どうでもいい
それがある意味解放されたような気分だった
人種の中に僕は紛れながら、自分が生まれた時代の歴史的背景や地理的なものを見つめなおしていた 日本人という事が自分のアイデンティティとしてどのぐらい影響して、どれほど必要なものなのか
日本の治安の良さは素晴らしいことだと思う それはそれで、ずっとそうであってほしい。
いつかベルリンでもう1度暮らしたいものだ
ドイツの情報はここで。右側にあるE-BOOKが非常に役立ちます