浮遊そうな僕が富裕層になりたい話

浮遊っていっても死んでないよ、、生きてます。まだ富裕層になってないです 富裕層になりたいサラリーマン大家の珍日記  賃貸併用住宅のメリットデメリットを紹介します

大家さん引退します。の漫画を読んだ感想 大胆な大家さんのバイタリティー

私はいくつか不動産投資に関連した書籍を持っている その他にリフォーム、リノベーション、家づくりの基本、建築資材等 中古住宅を購入する際に急いで購入して、少しばかりの情報を蓄えてきた、とはいえ人に伝授するほどの鍛錬された知識でははなく、本に書いてあることの受け売りだ。こうして体験談と合わせてコソコソとブログを綴っているだけで自分の体験でさえ自信を持って伝えるという感覚もない。不動産投資をすすめているつもりもないし、自分の失敗談がゴミ化とせず、何かの役に立てばと思ってるのみである

 

先日インターネットで大家とかアパート経営とか検索してみた、すると、とある人のブログの中で大家さんの体験談の書籍に関する感想が述べられていた すると「不動産投資をなめるな!」と書いてあった ひえっっっっっ 私は肝が冷えた 世の中に不動産投資の諸先輩方が厳密なデータと共に利益化のポイントを伝授してくれるブログに比べれば、私のブログなぞ鼻くそもんなことは重々承知だ しかし私のブログも公開のボタンさえ教えてしまえば一応インターネットの海にも航海することになる(そしてその後後悔するのか?!) 何が言いたいかというと自分の名前で、何かを世間様に発表することのある意味生命力といったものには、どんなものでさえ尊敬の念を抱かざるを得ないということだ それらを販売するとなった場合には読者への責任も重みが増すし、批判にもたえなければならない 

 

そんな中で私はネットサーフィン(死語か?)を繰り返し、「大家さん引退します。 主婦がアパート3棟+家2戸、12年めの決断!」の東條さち子さんによる本を読んだ レヴューには様々な感想が述べられていた 私も読んだ直後は、なんとなく著者が破天荒だと感じられるストーリーではあった、数字的(主にローンの資金繰り)のシュミレーションが合っているのか、合っていないのかわからなかった 他の感想としては、「それでも筆者は最終的に儲かっている」と見抜く人もいたし、「ドタバタ劇にみせておいて、それでも成功例とういうストーリーの流れは女性向きの(または女性が作者の場合?)書籍に多いのではないかというちょっと幻滅した感じの男性の感想もあった 私は著者のバイタリティーはどんなレビューにもきっと耐えうる。まずは反響があること(購入者がいること)が大事なのだろうと思った そうでなければシリーズ化はされず出版社からお誘いがなくなるだけだ。

 

それに物件売却に関する仲介会社との駆け引きには、肝がひやっとした 足元を見られるとは、こういうことか。管理会社の実情も様々あると思う、空室を積極的に埋めてくれないとか、修繕はすすめられるが、結局は築年数の古さで全ての回答が終わってしまうとか。破損した箇所の修繕費用が保険で対象になる、ならないの基準が紙一重の場合だったり、自分の知らない体験で勉強になった 私が今後このような場面に遭遇しないとは限らない その上で各方面の本職の方々にどう対応するか私の知識が問われる 私は筆者のようなバイタリティーがないが大丈夫だろうか、不安だ そして私のブログは読むに耐えうるか?心配だ

 

私は数年前写真を撮るのが好きだった 主に夜の風景が好きで東京の街を深夜撮影しに出かけ、遊んでいる人物だったり誰もいないショーウインドーを撮影したりしていた その流れで、超大物写真家も参加するというワークショップへ出かけた 半年ぐらいの講習だったが、参加者は本気で写真撮影をしたいという若者が多かった それはそれは日本を代表する超大物写真家で会えるだけで緊張してしまった 定期的にテーマを絞って写真撮影をして、先生方に見ていただける素晴らしい機会だった ある日私は自信がなかったが写真を提出して、先生からの反応を待っていた するとその先生は私のA4サイズの写真をすっ、、、っと見て、こういった

「君 これ面白いと思って撮ってるでしょ?全然面白くないよ」

私はショックではなかった 写真も趣味だし、提出した写真も自信がなかった 他の人は本気で写真を撮影している人ばかりだ。当然だ。ただ3年ぐらい続けた撮影活動の中で、その結果私の技量が「面白くない」と言われたような気がした その直後日本を激震させる出来事が起きた 私は最後の最後でワークショップを投げ出してしまった あと皆んなで解散の飲み会があるぐらいだったが、自分の写真が大嫌いになってしまったのだ 理由は私は夜の暗闇の中でぼんやりと浮かぶ艶やかな「生」を見ているつもりで撮影していたが、実はその先にある「死」であったと、悟ったからだった 私の中でゆらゆらとタナトスがある種の輝きを持って揺らめいていた ジョン・エヴァレット・ミレーオフィーリアのように、あるいは北野武の『その男、凶暴につき』『ソナチネ (Sonatine)』HANA-BI』のように。 それらの作品は今も素晴らしいと思うが、自分の作品がクソのように思えて、ふざけんじゃねーーー!っとカメラを叩きつけるつもりでそっとバックにしまった 自分のくだらない死生観を見切りをつけるつもりでカメラをやめた 撮影していた写真も見てない 今もそのカメラは私の部屋にある 

 

先生は見抜いていたんだ、、、ワークショップで出会った彼らは何があってもきっと写真を続けているに違いない 真剣だったから。そしてその当時もっと写真撮影することに意味があったかもしれない。私が何かあったらさっさとカメラをやめてしまう腑抜けヤローだったことに、先生は見抜いていたんだ 先生はとにかく長く続けることが一番大変で大事だと言っていたから。

 

そのカメラは私を今もじっと見ている、、、私の自尊心を奪うように、そして決して調子に乗らないように。

先生の言葉が今も僕にささやく

 

「君、、、面白いとおもっているでしょう? 全然、面白くないよ。」